TOJ 栗村)日本国内で現在開催されているレースの中では、最古の国際自転車ロードレースです。もともと1981年から、5月は自転車月間、5月5日は自転車の日とされていました。自転車月間の象徴として、スポーツとしての自転車の社会的地位を高めていこうという目的で、1982年にTOJの前身大会が始まったのです。 当初は大阪と東京のみのワンデーレース(単日のレース)として始まり、1996年に正式なステージレース(複数日にわたるレース)へとリニューアルされました。「ツアー・オブ・ジャパン」という名前になったのもこの時です。2026年で27回目を迎えますが、8日間・8ステージという規模は国内最大です。
TOJ 村山)1980年代は、駅前の放置自転車が社会問題になっていて、「銀輪公害」という言葉まで生まれるほどでした。そんな自転車のマイナスイメージを変えたいという思いに加え、スポーツとしての自転車が青少年の健全育成や国際交流につながることをお伝えしたいということで、TOJの前身大会である国際サイクルロードレース大会を立ち上げたと先輩たちから聞いています。
――当時の日本でロードレースというのはどんなイメージだったのでしょうか。
TOJ 栗村)私自身、ツール・ド・フランスに憧れて14歳からロードバイクに乗り始めました。そこからの数十年、ずっとジレンマを抱えてきました。「自転車レースをやっています」と言えば「競輪ですか?」「トライアスロン?」と聞かれる。自転車で車道を走っていると「チャリンコが車道を走るな」と怒鳴られることもありました(笑)。 でも、高校2年の時に渡ったフランスで見たのは、日本とは全く違う光景でした。ロードレースというものが当たり前のように社会に溶け込んでいるのです。それに衝撃を受けて私は「日本国内にも、こんな文化をつくりたい」と思うようになりました。
TOJ 村山)大会立上げ当時、警察に大会開催の相談に行くと「公道を封鎖して自転車レースなんて考えられない。東京国際マラソン大会をやめてもよいのなら」と言われたと聞いています。それが40年以上経った今では、警察や消防のご担当の方から「私も自転車に乗っているんですよ」「栗村さんの解説、いつも楽しみに見ています」などと話してくれることが増えました。少しずつ時代が変わり、理解が得られてきていることを感じられて、本当に感慨深いですね。
まち全体がステージになる。公道レースにしか生み出せない体験
――ロードレースの観戦は、スタジアムスポーツとは全く違う楽しみ方になりますよね。
TOJ 栗村)スタジアムスポーツは観客が全部を目撃できるように設計されています。一方でロードレースは、選手も、監督も、審判も、沿道の観客も、”誰ひとりとして全体を見られない”スポーツです。でもそれがかえって、独特の体験を生んでいると思っています。 ツール・ド・フランスなど本場ヨーロッパのレースでは、レースが始まる数時間前からスポンサーカーが音楽を鳴らしながら通過して沿道の観客を盛り上げ、その後だんだん緊張感のある車両に変わっていきます。警察が信号を切り替え始めて、集まった人々の空気が徐々に変わっていくのです。そしていよいよ、選手が目の前を通過する。その瞬間の感覚は鳥肌ものですよ。選手たちが、カラフルなウェアとともにものすごいスピードで駆け抜けていきます。 TOJはまだ欧州ほどの規模ではありませんが、日本国内で行われる最大のステージレースです。選手たちの迫力を一度見たら、きっとまた来たくなると思います。
――コロナ以降、「TOJ NEW GENERATION」というコンセプトを打ち出した経緯を教えてください。
TOJ 栗村)発端は、TOJとしての生存戦略でした。もともとの中長期構想はTOJをより大きくしていく拡大路線で、東京五輪前の追い風もあり、史上初の冠スポンサーもつきました。ところがコロナ禍で2020年は開催中止になり、翌2021年は緊急事態宣言が出る中、富士山・相模原・東京の3ステージだけで開催しました。 2023年にようやく8ステージに戻ったのですが、その過程で改めて「自分たちの存在価値は何か」を問い直したのです。そこで気づいたのが、日本社会が抱えている課題と自転車ロードレースの性質がぴったり重なるということ。 少子高齢化や地方の人口減少が進む中で、ロードレースは道路と大自然があれば成立するスポーツです。大都市ではない地域こそ、ロードレースのフィールドになり得る。ピンチはチャンスという言葉がそのまま当てはまる状況でした。そして生まれたのが、若手選手の育成と地域の活性化を軸に大会を再定義した「TOJ NEW GENERATION」というコンセプトです。
――若手育成をコンセプトにすることで、現場にどんな変化が生まれましたか。
TOJ 栗村)出場チームの選考基準に、「若手選手を育てているチームを優遇する枠」を設けたのです。シンプルなことですが、それだけでも変化がありました。あるチームの監督さんは「TOJがあのメッセージを発信してくれたことで助かった」と言ってくれています。 このような枠組みがないと、どのチームも勝つためにベテラン選手や強い外国人ばかりを揃えてしまいます。そうなると短期的には良くても、長期的に見れば衰退していくことは目に見えていますよね。そこで主催者側が「若手を育てているチームを優先する」と明言することで、若手を起用することが価値になるのです。チームとしても育成へと動きやすくなるという後ろ盾になれたことは大きかったと思います。 若手育成を謳っている国際レースは実はほとんどありません。「日本の若き挑戦者たちの壮大な物語」という大会キャッチには、何でも数字で測ろうとする今の社会に対するアンチテーゼの意味も込めています。これが意外とすぐ受け入れられたのは、社会のどこかにそういうものを求めていた感覚があったのではないかと思っています。
TOJ 村山)地域の子どもたちへのアプローチも、この流れの一つです。「TOJキッズ」では、開催地の小学校にプロ選手が出向いて自転車教室を開くなど、選手と子どもたちが直接ふれあう機会をつくっています。観戦して育った子どもが後に選手としてTOJに出場した例もあって、そういう好循環が少しずつ生まれてきています。
反発から始まり、10年で根付く。「8つのピース」が完成させるTOJの絵
――各地域とはどのような関係を築いているのでしょうか。
TOJ 村山)公道でのレースは、最初から地域の皆さまに歓迎されるものではありません。生活道路が半日使えなくなるわけですから、立ち上げ当初はご理解いただけないことも普通です。それでも数年続ける中で、選手が地域の学校に来て自転車教室を開いたり、毎年来てくれる選手の顔を子どもたちが覚えてくれたりして、少しずつ関係が変わっていきます。10年くらい続けていると「今年はやらないの?」と、住民の皆さまから声をかけていただけるような関係性ができてきますね。 また、地元でスポーツ活動に取り組んでいた方が「ぜひこのレースを地元に呼びたい」と声を上げ、関係者を動かしてくださったことが開催のきっかけになったステージもあります。普段東京にいる私たちが出向いてもなかなか相手にしてもらえないことでも、地元にひとり”熱い人”がいてくださることで、地域を巻き込んで一致団結してくださるのです。
TOJ 栗村)TOJが各ステージに「ホームチーム」を設けているのも、地域との関係をつくる仕組みの一つです。8つのステージに国内チームをそれぞれ割り当てて、地元で応援する文化をつくっています。 自転車レースにはあまりホームチームという概念はないのですが、それをすることで、地域の子どもたちが選手の顔を覚えて、大会当日に「あのお兄さんが走っている」と応援するという流れが生まれてきました。
――それでは、2026年大会に込めた思いを聞かせてください。
TOJ 栗村)2026年のテーマは「EIGHTPIECES IS ONE FUTURE」です。8つのステージがジグソーパズルの1ピースずつを担って、初めてTOJという絵が完成すると思っています。それが私たちの信念です。 TOJは、大会が終わると、運営も選手も全員が「寂しい」と言うのです。毎年ほぼ1年がかりの大きな大会で、準備も臨戦も過酷だからこそ、終わった時に達成感と寂しさが混ざった感情が生まれる。これはTOJならではの魅力だと思います。 全てをスマートに、合理的に生きていたらおそらくそういう感情は生まれないでしょう。無駄(非合理)があるから旅になって、旅があるから人生になる。そこにロードレースのおもしろさがあるのではないかと思っています。
TOJ 村山)私たち大会に関わる者の間で「TOJは”お祭り”であり、”旅”である」という言葉をよく使います。最初のステージはまだまだ先が長いと感じるのに、真ん中あたりになると「あと何日で終わっちゃうんだ」とみんなが言い始めます。その一体感と寂しさが、年に一回だけ生まれる特別なものです。 見に来てくださった方にも、ぜひその空気の中に入っていただきたい。「ツアー・オブ・ジャパンがあってよかった」と思っていただけるような大会を、地域の皆さんと一緒につくり続けていきたいです。